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2026年、日々の迷想



■3/10 NHKとWBC

大相撲や有意義な特集などテレビ、ラジオを問わず比較的よくNHKを利用するが、なんとなく誘導したいのだろうなあ、という局の意図を感じるまとめや投げかけがままある。さすがに大いに偏った報道は、これまでもSNSではよく指摘されて批判を受けてきた。職員の平均給与のずば抜けた高さも気になる。

そんななか、3/6初日のWBC(ワールド・クラシック・ベースボール)以来、連日、Netflix で最初から最後まで観戦して少し寝不足になったが、3/7 の朝のラジオニュースでは前夜の初戦、日本vs台湾の結果にはまったく触れなかった。恐らくTVもそうだったのではないか。放映権は逃したかもしれないが、試合結果を一言も知らせないというのはいかがなものか、と思った。ニュースとしての意味が大いにあるはずで、画像なしでもニュースにしてしかるべきだ。大相撲の結果についても、国技に対する対応としてどうかなと思う時があった。

あれっと思うことの多いNHKだが、オールドメディア全般にみられる偏りが最近とみに注目される中で、公共放送としての報道の舵取り塩梅は、国民がこれからますます関心を深めていくのではないか。また、見逃し放送がNHKプラスからNHK ONE に移行し大変利用しずらくなったが、案の定、利用率が低迷しているらしい。これはネットとの競合が背景にあると聞く。近く再調整されるのではないか。

■3/09 「外国人土地法」の原点

先日の衆院選に限らず、保守系の各党の主張の中で近年目立ってきたのは、移民政策と外国人の土地所有についてである。特に外国人が我が国の土地を買って所有するという問題は、明治時代に函館のそばの七飯の土地1000haを当時の蝦夷の榎本政権から租借したガルトネル(ドイツ人兄弟の名前)事件として有名だ。ただそのあとに誕生した明治政府は外国人の土地所有に極めて敏感だったらしく、その後すぐ莫大な資金を費やして買い戻したと言われる。

これも原因のひとつだったのだろう、大正2年に外国人土地法が制定されたのである。林学を学んでいた学生時代は、現存する「ガルトネル・ブナ林」というエピソードとして耳にしたが、コモンズを勉強するようになってからは、この法律の背後にある相手国と同じ土地所有権に準するという相互主主義という考え方を知り今日に至る。しかし外国人土地法は経過を経て有名無実となり、今は防衛上重要な土地に限定した議論が進められているのみだ。

しかし、周囲でまるで蚕食されるように土地買取が進む北海道の住民としては、国籍を隠した第三国人に土地を売ることの危うさや薄気味悪さが先にたち、日常的に隣りあわせだ。少なくとも日本人に土地所有を許さない国には土地を売らない、というこの一点だけでも並行して早く法制化してほしい。釧路湿原や勇払原野など、特に当時役に立たないとされた湿原で原野商法で売買された土地には、問題は当分尽きそうにない。釧路市がかなり高値で買い取ったという話は新しい。

それにつけても、つくづく日本は人間を性善説で見てしまう悪癖のような人の好さがある。そこに人権を絡ませようとする一派もいるから始末が悪い。現在の入国管理と外国人労働力の受け入れは、事実上の移民政策と同じという観点にたち、責任官庁をまず明確にし、厳罰、強制退去を辞さず、納税実績が見込まれるものにのみ社会保障の恩恵を与えるなど、国益を前面に出した対応を求めたい。もちろん、外国人留学生対応もしかりである。国に何らかの対応を求めた覚えなどないが、移民政策と土地については声を大にしたい。

■3/08 人間の無力さか

ハスカップの自生地が、安平川の治水が成功したために近年まったく洪水が起きなくなり衰退し始めている。一方、勇払原野あたりが群落の北限とされる(ミズナラ)コナラ林が、シカによる萌芽枝と実生の更新若木が食害されつくされることによって、今のままでは後継樹が育たずこれまでのように将来に向けて群落を継承できなくなりそうだ。わたしは今、雑木林のフィールドに小屋番として通いながら日々そんなことを考え、少しずつ、調べものを始め対策を思案している。しかし、ほしい資料にはなかなかたどり着けない。かつ妙案はまだだ。

NHK番組「タモリ・山中のびっくり・はてな」(3/7)は「神様仏様だのみ」がテーマだった。番組は地震が神頼み、疫病が仏様頼みにつながったと推論し、当時の人々がどうしようもなかった災害について、1000年の時間を経て歴史家と紐解いてみせた。やはり日本の成り立ちから言ってどうしようもないことって、ありうる。鴨長明はそんな世を『方丈記』であきらめの哲学で文学的に開陳した。ほうぼう歩きつづけた鴨長明の庵を日野の山里に尋ねた数年前の歴史旅は強烈だったが、今日はその諸々の歴史のコマがつながって見えた。ひょっとして、
ハスカップもミズナラ・コナラ林の存続も、人間側として簡単には解決できない、自然だけでなく地勢も含めた風土の傾きなのか、と思ってしまうのである。

■3/07 シカが食べない雪の下の緑



エサがなくて樹木の皮も食べるシカが、こんな青々とした早春の葉やつぼみを食べない。春一番のナニワズである。花はジンチョウゲの芳香がする。シカは漢方のにおいのするコブシや痙攣をおこすとされるツツジを食べない。あと小屋の周りではシウリザクラ。群生するもののほとんどはシカが食べないものと言ってもいいのかもしれない。シラカバは食べたり食べなかったり。地面を覆うフッキソウも残っている。今、シカ対策をそちらのほうから思案している。ハーブ系、薬草系、そしてシカにとって毒のあるものなど。写真は3/6 の雑木林センターの横のナニワズ。

■3/06 人工衛星と流れ星

2日続いて雪か雨が降ったせいだろうか、3/5 の夜は空が澄んで星がよく見えた。家人が天窓から星がきれいだというので外に出てみると、5分足らずで6つの人工衛星が頭上を飛んだ。西から東が5つ、北から南へがひとつだった。あわよくば流れ星を、と欲張ったがそれはなし。それでも今年は1月から2つ確認したから幸先はよい。いつ飛ぶかしれない散在流星に出会うのは、空が明るい苫小牧では少しハンディがあるけれども、あの幸福を射止めたような感覚は格別である。

残念ながら民間の人工衛星打ち上げは昨日失敗に終わったが、当事者は結果をこれからに利用できるので失敗だと思っていない、と語った。

■3/05 自分史に世界の出来事を重ねてみると

この世に生を得てからの履歴を心得ておく必要に迫られ、5,6年前に年代(元号と西暦)と年齢のわかる自分史的メモをエクセルで作った。これが昔を思い出すときに意外と便利で、記憶をリフレッシュするときにも役立っている。ここへさらに日本の現代史、世界史のトピックを重ねてみる必要を感じ始め、昨日とおとといと、簡単なメモを書き入れた。簡単なものだから、例えば拓銀破綻とか天安門事件などというようにである。これで難航つづきのわが足取りも俄然わかりやすくなってきた。いささか、ちょっとした激動の中に生きてきた風な、一瞬、天然色風に見えてきたからおかしい。

先週あたりから厚真の田んぼにはガンの群れが少しだけみられるようになった。そして今日は二十四節気の啓蟄だ。2日間、雪やみぞれの日だったが、いよいよ春に向けてまっしぐらであろう。おそらく今日の夕方あたりからがんの渡りの声が聞こえるのではないか…、と書いたとたん、正午の自宅上空で鳴き声が聞こえだした。

■3/04 耳を澄ますと聞こえてくること

拉致問題がもしかして動くのではないか。そう思ったのは去年の秋ごろだったか、北朝鮮のトップ・金正恩がトランプ大統領と会うのを視野に入れてゴルフの練習を始めたといううわさが聞こえたころだった。最近、拉致問題について信頼できる筋が、トランプ大統領が4月に中国訪問するその足で、北朝鮮に向かうのではないかとの憶測を伝えた。北側が非公式にトランプ氏と会いたがっているということが背景にあるとしている。高市首相の解散や総選挙、3月の訪米もその線にあわせて組み立てられたという。いよいよ、高市首相と金主席の会談実現にに向かうのか。それともイランがらみでトランプの訪中は中止になるのか。

■3/03 森村誠一著『老いる意味』を読む

居間の丸テーブルに置いてあったこの本を一気に走り読みした。副題に「うつ、勇気、夢」とある。老人性うつと認知症に出会い戦ったあしどりなどを含めて、まるで他人事でない章立てとトピックであった。氏、88歳の著書で、普通の感覚で淡々と書かれ、高齢者にはことごとく共通するような、思いを代弁するかのような内容だ。

実のところは森村氏の作品を読んだ記憶がない。が、娘が学生時代に町田の喫茶店でアルバイトをしていると、よくやってきては仕事をしていたというのを聞いていた。読んで知ったが、喫茶店通いはうつ時代の日課のようだった。そんなこともあって生身の人間として氏には関心があって、いわば勝手にかすかな縁を感じていた。やがてうわさで聞こえてきたのが老人性うつだった。

闘病をしながら前向きな作家精神を失わなかった氏の心がけに励まされる思いがしたのだが、特に第5章「老人は明日に向かって夢を見る」で写真俳句をやり始めたころの小文があった。ちょうど今朝、新聞の歌壇俳壇の欄で投稿がしばしば採用されるという山仲間の歌詠みT君にあてて、彼の作品の感想を書いたばかりだったせいもある。よし、これからは鑑賞だけでなく自ら作ってみようかと心が動いた。

■3/02 「ばけばけ」の描いた地獄

ラフカディオ・ハーンのヘブン先生は、松江の冬を「地獄だ」と悲痛な面持ちで表現した。逃げ出した形にも見えた南国の熊本に赴任してから、初めてストーブのある部屋が画面に出てきたのはおかしかったが、欧米人から見たら、明治時代の暖房のない地方の暮らしが恨めしかったのは想像に難くない。明治のはじめ開拓使に呼ばれたケプロンも、小樽に上陸してから札幌に向かう道すがら、銭函あたりの民家であまりに貧弱な暖房に絶句したようなことを何かで読んだ。

今日読んだ苫小牧郷土文化研究会の豆本『ユウフツ千人隊物語』(岸本安則著)にも、八王子から1800年に蝦夷地は勇払にたどり着いて、海防と開拓に従事した八王子千人同心の100人余りは、寒さと飢えに苦しみ、次々と病気で死に、あるいは本土に帰還したのだった。おまけに勇払原野や鵡川のあたりは火山灰土壌と霧のせいもあって当時作物も育たなかった。

和歌山から空知に集団移住した十津川の人たちも初めての冬に次々と風邪などで亡くなった、とある。寒い、と言っているうちはまだいいが、越冬して暮らすとなると藁やヨシで編んだ家壁や隙間の多い板壁などは寒風とマイナス20度にも及ぶ低温には役に立たないのである。北海道はまさに殺人的な冬の気象でそのままでは凍死するのだった。

生活の改善、あるいは快適さの追求という面で、日本人は意図的にでもあるかのように開発、改善が鈍かったような気がする。国木田独歩の『空知川の岸辺』に描かれた開拓時代の前線の暮らしぶりなど、悲惨であり過酷さは相当なものであった。夢に燃えていた独歩も現実を知って北海道移住を断念したように見える。ほかの多くの見山者も高温多湿の本州以南の風土感覚を背負っての渡道であるから、困惑は無理からぬことであったと思う。

そもそも北海道に本州人がすむようになって、明治維新から数えてもまだ150年あまりであり、暖房の文化を持った欧州、とりわけ北欧では国ができてからだけでも1000年以上の歴史があるから、暖房の文化と技術は雲泥の差があっても仕方がなかったのである。ヘブン先生の「松江は地獄」と逃げ出したかった気持ちは今なら実によくわかる。

■3/01 雑木林の落ち枝という燃料利用

小屋番で部屋を薪で温めている間に、春の藪だしのコース段取りで林を歩いてみる。雪が消えたばかりの林床にはおびただしい落ち枝があり、その量にはあらためて驚く。

小屋ではこれらを焚き付けに利用し、秋の山仕事では休憩用の焚火に使っている。煙や炎で疲れが飛ぶような気もするし、ひとりの山仕事ではさながら相棒だ。アイヌの人たちは燃料に事欠かなかったというが、コタンが広葉樹林のそばにあるから、
無尽蔵の燃料だったと言える。こんなことってありうるのか。

ただ、落ち枝は乾燥する必要があることと、すぐ燃え尽きる。火力が弱い。以前、ロケットストーブという道具作りが流行ったときに作ってみたが、これなら中華料理を作れるくらいに火力があったから、ロケットストーブも落ち枝もいずれもバカにできない。

■2/28 歌に見る庶民の共感 46

この書き込みは読売俳壇・読売歌壇から、たまたま心に響いた時に印をつけて置いた投稿作品をコピーしている。この背後には残念ながら選に漏れた数多の応募者と生活を凝縮した作品の存在も想像している。そこに日々を詠むという生活者の息づかいも伝わってくるような気がする。勝手な連帯感が沸いてうれしい。

ぽんこつを互ひに笑ひ去年今年   川口市・Kさん
…友人ではなく夫婦の会話とみるのが自然か。廃車も遠くないのだが、修理してたまには部品交換して毎日毎日を大切に生きて、また一年が経った。ありがたい。互いに笑いあえて、そこにいたわりの光景も。

苦戦して九十五歳日向ぼこ   成田市・Kさん
…日向ぼっこの高齢が単なる慶賀ではないと語る姿に神聖さを感じる。人生は山あり谷あり、苦戦も少なくないのだ。ほぼ1世紀を振り返るのに日向は格別のロケーション。

また年賀状じまいという賀状   小金井市・「ひ」さん
…いい加減にしませんか、という苦々しさか、また一人増えてしまったという寂しい嘆きか。年賀じまいの賀状を出すまえに、どう関係を終えるかについて律義に考えてみるのが日本人らしい感性だと思う。迷い、ためらいながら、長い濃淡のある関係をフェードアウトさせる。
(*2/12 に前掲(-_-;))

稲挙ぐや津波に呑まれかけし夢   大船渡市・Mさん
…「稲挙ぐ」は起きる、「稲積む」は寝ることを指すのだという。大晦日に年神を迎えるために寝るという言葉を忌み、こう表現するのだと知った。初頭の季語として「冬構え」、石組み集団の「穴太衆(あのうしゅう)」などという言葉にも出会った。恐るべし俳句、日本の伝統。

春の星生きているから死ねるのだ   大和市・「お」さん
…春らしく晴れ渡った天空の星には明るいメッセージ性がある。作者には死が遠くないという予感でもあったのか。そうなのだ、時には「あまりに健康だったら死ねないよ」、なんて冗談めいた言葉も聞く。生を終えられるという幸運もあるのだ。言い聞かせが力をもつ。

木星をつるしてウルフムーン   野洲市・Mさん
…ひときわ明るい木星はなにか意味ありげに頭上に輝く。狼月とは1月の満月らしいが、吊るす、ように見える位置関係、そういえば満月の1月3日は晴れていたから、そんな時間にわたしも外にいて同じような光景を見たような、しかし句にする芸才はなかった。

冬耕の暮るるにまかす一人かな   神戸市・FさN
…季語「冬耕」を使った俳句は例としてたくさん出てくる。それほど光景を想起させる深みをもった一語なのだ。日が短くなった斜め光線の下で作者は何を思っていたのか。越し方か、明日やってくる孫たちのことか、それとも春の作業の段取りか。

闇に浮かぶあまたの目あり寒施行   川崎市・Nさん
…静川の雑木林の小屋では、鹿、狐、狸、兎、そして鷹や啄木鳥など野生の目は日常だ。さすがに用意された餌を差し出す寒施行の経験はないが、もののけのような気配は事欠かない。それほど冬の生き物たちはエサがないか、乏しい。マイナス20℃近くまで気温が下がり物みなおおい隠す積雪もある北国で、野生の飢えは半端ではない。だが、この地では仏教的な感覚でとらえたことはなかった。

*追記 投稿作品を書きながら鑑賞する愉しみは一入(ひとしお)だ。貸し切りの無声映画館のようであり、日本各地の風土と伝承なども総動員して味わえる。流し読みではなく、踏みとどまって作者の日常まで空想してみる。


■2/27 ホッとする会話の風景

国内の政治と政局、それにまつわる言論、さらに国際情勢などをネットやSNSでフォローしているとどんどん深みにはまる。今回の選挙ではいつもより数段情報量が多くなって、結果的に食傷気味となってきた人もいるのではないか。比較的よくウォッチする当方はうんざりして離れる時もしばしばあった。

本当に触れたいのはこういう風景じゃないんだけどなあ、と考えたとき正反対のテレビ番組が頭に浮かぶ。ひとつは「病院ラジオ」。病気と折り合ってなんとか生きていこうとする人間の弱さとやさしさが、司会(サンドイッチマン)の語りと人柄によってうまく引き出されてほろりとさせられる。そして「ドキュメント 72時間」。何でもない、普通の日本の庶民の生活が、控えめに切り取られていて素直な共感がある。

地球規模では「地球taxi 」あるいは「街角・駅・空港ピアノ」。素人のほうが役者だ、おもしろいとはかねてから言われてきたことだが、庶民の生活をちょっとのぞき見するような映像に実は安堵の気持ちが起きる。そこにあるのは人としての絆のようなものではないだろうか。SNSに蔓延する嘘や暴力や対立や批判やエンドレスの自己主張の世界とは、日常の庶民はまるで違うのだ。欧米などからの訪日外個人旅行客は、そんな日本人の生活の風景に驚いている。

■2/26 「歩く人はボケない」か

町医者30年の結論とある。認知症が心配になっている人々は、新聞一面にこの本の広告を見つけてきっと興味を示しただろう。本当だろうか、どれくらい歩けばいいのだろうか、週2,3回でいいのだろうか、などとハウツウの疑問も尽きないだろう。ボケ、認知症は高齢者の一大関心事であることは異論がない。

しかし逆に、歩かないうちに筋力が衰え、直立するバランス感覚もなくなって、つい、ソファや椅子に座ったままの状態を想像してみると、「歩かなくなるとボケる」という反対の意味から推論したほうがピンときた。「それじゃあ、ボケる」。

だからたとえ家の中でも携帯の万歩計を使って歩行距離を推定することにしている。家の敷地から一歩も出なくても、庭仕事や薪運びや階段の上り下りなど、要するに「おーい、お茶」などと声をかけて用事を済ます亭主関白でなければ、歩かない生活など考えられないのである。股関節手術の後の後遺症的歩きにくさをようやく克服しつつあるわたしは、なんとなくこのタイトルが魅力的に見える。そして「よく聞く(聞こえる)人はボケない」「よく食べる人はボケない」「よく飲む人は…」と続いて、要は人生に対する積極心だな、という結論に達する。

■2/25 ドイツみたいな豚とドングリの話が遠浅・大島山林に

大島山林でスノーモービルの不調対策を打ち合わせした後、早来の図書館で町史を見せてもらった。ハスカップの群落衰退と洪水の関係を調べる一環である。メインの課題の前に遠浅の歴史を紐解くと、明治の30年代、土地の貸し付けを受けた(開拓した)初代の大島清吉さんは、遠浅沼東側のあの一帯320haを持ち、敷地の一部で100頭以上の豚を飼ったとある。それも、ナラの林のドングリを食べさせたからとても成長がよかった、という主旨が書かれていた。まるで、ポークソーセージの本場、ドイツのような話ではないか。わたしが50年前に出会った大島山林は、若いのに美しかったのは、こんな林内放牧の歴史のせいでもあったのだろうか。

■2/24 食べない快感とアルコール離れに事寄せて

昼に食事をとらない大きな理由は空腹である快感に気づいたせいであった。数年前に検診で逆流性咽頭炎と診断されてからは夕食も腹6分を目標としている。食に関する懸案は、あと、アルコールがある。飲まないほうがよく眠れると言い、そのせいか、周りではたまにしか飲まないという人のほうが多くなった。

一方、昔の会社や役所には、部下に吐くまで飲ませ強くする、などというパワハラ的指導をする上司がいたことなど、今や考えられない。当時、職場の飲み会は多かった。何かと飲み会があり、仕事帰りに愚痴を言い議論していた。北海道では観楓会が職場ぐるみの飲み会の象徴だったような気がする。



少し古いデータだが5年ほど前の資料では70代男性の35.2%が毎日飲み、6.5%が週5,6日飲むと答えている。これだとわが飲み仲間は潜在的にいる、というがわかりホッとする。わたしのような晩酌オジサンは置いてけぼりになるのかと思っていたから、そうでもないようなのだ。しかし、仕事を離れれば誘って飲む機会はなくなった。昔はよく付き合ってくれた家人も夕食時はビールのみでさっさと片づけてしまうようになった。飲んで話すのは実に楽しいのにいずれも残念だ。

確か30年ほど前だったか、フランス人がワインを飲まなくなったと言われ始めた時期があり、聞けばペリエという炭酸水を飲むようになったと聞いた。素面(しらふ)状態を良しとする sobar curious という言葉も近年はしばしば聞かれるようになった。若い人はもちろん、中高年でも別に飲まなくてもよいというアルコール離れが確実に進んでいるのは本当のようなのだ。

仕事の緊張から解かれるため、というのは勤め人時代の飲酒理由だったが今はずばり、おいしいからだ。おいしい料理をさらにおいしくいただくために欠かせない。そのかわり、もちろん深酒などしない。特に料理をしながら仕上がりに気を配ってちびちび飲む楽しさ、わくわく感と言ったらない。そして大相撲…、と飲む理由は続くのである。

  
*2026/01/03 のブログ「酒を飲む動機の変遷」に続く

■2/23 PCとネットの環境整う

ホームページ作成の新バージョンソフトが届いてセットアップした。これであと10年くらいはもつ体制ができたのではないか。デスクトップ購入から始まりデータ移動、アプリ購入などを込みにすれば20万円以上かかったが、おかげで更新作業はもとより操作上のストレスも解消されたから、投資に見合ったものと納得できる。それに今やスマホと並んで生活必需品だ、などと書けば何をいまさら、と笑われそうな、そんな時代だ。

ただ、AIやSNSで速く広く情報を得るよりも、一冊の古めかしい本でも佇むように付き合うほうに気持ちがそそられるようになってきた。関心はゆっくりした、静かなほうへ移ろうとしているようだ。


■2/22 世話役

なにかのプロジェクトや団体の仕事を進めるうえで、しばしば役割分担が決まるが、主だった分担から漏れる役が世話役である。世話役とは分担の間をつなぐ気配り役といったところか。だが正式な役職名はなく、いわゆる通称で縁の下の力である。だが一人か二人の世話役の存在は意外と大きく、そこに気づいた人の多い方が運営はうまくいく。組織では徳のある総務の部課長といったところだろうか。

こなれたグループでは、組織運営にできる隙間に気づいたメンバーが、名乗り出て隙間を埋める役を担ってくれる。しばしば言い出しっぺが自分で面倒を見るという不文律があるために、会議では逆に黙して語らず、なんてこともあるが、相互扶助や善意の持ち寄りで動く団体などでは、言い出す人がいない限り停滞することになり、そもそもそれでは何のために立ち上がっているかわからなくなる。ただ乗りに至っては論外である。

わたしがこれまで関わってきたローカルな活動に限って思い起こせば、世話役がもっともエネルギーが求められる反面、達成感が一番高いのではないか。人生冥利に尽きるのではないかとさえ思う。それが町内会であれ、あるいは地域ボランティアであれ、結局のところ、関係者を取り持つ世話役的な役割の存在の有無がグループの居心地とゴールを左右するわけだ。あの人の気配りは素晴らしかったなあ、とかつて出会った何人かの世話役的存在を思い出すと、温かい気持ちになることができるから不思議だ。

■2/21 山岳スキー

もうすぐ終わるミラノ・コルチナの冬季オリンピック。全体を見渡してみて、最もオリンピックらしいと思ったのはやはりノルディック複合だ。北欧の雪原を走るスキー、凍った湖や川をすべるスケートなど、緯度の高い国なら日常的に発生する遊びが競技に進化したような、そんな自然味を感じる。

今回驚いたのが山岳スキーである。ドロミテやシャモニーを抱えるヨーロッパアルプスならではのものと目を見張った。実は北海道で行われてきた冬山は、シールを付けて上り、稜線や頂で外し、滑り降り、それを何度も繰り返すという雪国ならではのスポーツだが、文字通り山岳スキーに他ならない。これもいうまでもなくヨーロッパ起源だ。ボードやハーフパイプの競技など、多くの若者が挑戦するジャンルに、地味な山岳スキーが加わって、冬季オリンピックも新時代を迎えたかと思われた。日本にも競技人口が200人いるという。


2/20 二十四節気は昨日「雨水」へ



昨日2月19日は二十四節気の雨水だった。苫小牧は雪からみぞれになったから、二十四節気はよく当たる、という現実にいつものように感嘆してしまった。公園の丘を歩くと、稜線ですらもう地面が見え始め、日当たりのよい斜面は雪が消えて、シカが群れて何かを食べていた。もう芽生えがあるのだろうか。

今日出かけた雑木林の小屋周りは、胆振の苫小牧よりも南空知や石狩南部にやや近いせいか、積雪はまだ40cmもあったが、これからの1週間で激減するはず。いよいよ春は遠からじの実感があり、時々雪を交えつつも春は駆け足でやってくる。


2/19 内側からみたイギリスという国は

イギリスについて書かれた本への興味が尽きない。登山やフライフィッシング、造園などをはじめ、これまで打ち込んできたいろいろな関心事の多くが英国起源だったりしたこともある。現在においても国のありよう、自然、政治、コミュニティ、土地の共有(コモンズ)、そして田園風景へのまなざしなど、一日の長を感じる。ただ、それは日英の優劣ではなくて、とても考えさせられるという意味である。それというのも、いかに多くの日本人が英国に注目し、住んで、英国を語ってきたかという、文献としての蓄積が示している。

虎岩正純氏による本書は40年以上前のものだが、いささかも古びておらず、今も十二分に刮目すべき話題に満ちていた。一言でいえば英国の見方を広げる、と言ってよかった。正確に言い直せば、イギリスの内側を読みながら日本を見ている、という感じがした。

個人的に実に良書だった。興味の波長も合ったためだろう。ボキャブラリー、感性、興味の方向がこれほどはまったのは、この一年では『庭とエスキース』以来だ。良書との出会いは人生を豊かにする。

■2/18 パブへの憧れ

夕方、軽く一杯ビールを飲みながら、常連客と世間話や国の政治や病気自慢やもろもろの情報交換などして自宅の夕食に戻る…。あるいは食後にビールやウイスキーのために出かける、そんな場所が身近なところにあったらどんなに良いか。

そう、イギリスのパブのような存在である。うまくいけば町内のコミュニケーションなどもうまくいくかもしれない。が、逆にこじれることもあるかもしれない。町内会や神社の集まりが伝統的にしょっちゅうあるところなどは、自ずと付き合いは深まりお酒が振る舞われることもよくあったと聞く。

フットパスの本場・英国ではトイレの場所としてもずいぶん重宝だった。おかげで一度も立ち〇〇ンはしないで済んだ。とにかく仲間意識のあるだれかとふらっと会える場というのは欲しい。居酒屋でも立ち飲みであってもいいのだが、ビール1,2杯など、節度ある酒飲みの歓談の場、この節度あるというあたりが意外と難しいのだろう。それに値段もある。週に数回、あるいは毎日、ひょっとしてコーヒーでも代役は務まるのかもしれない。

パブというくらいなのだから、公の雰囲気はある。日本人だって、つまるところ個的な隠居生活状態であっても、公的な場に対して内心は興味津々なのだろうと思う。住みよい街にしたい、どうもそれは古来人の常だったような気がするが、過干渉や湿っぽさを嫌ってその反対方向に走ってきたような気もする。それで結構居心地は悪くないとも評される。そんな想いでふとパブのようなものに憧れる時がある。

■2/17 聴力検査値と日常の聞こえの差

難聴は認知能力に大きな影響を持ち、認知症につながるといわれる。生活に支障がでるようになったので2年前に高額な補聴器を利用し始めたが、その際に耳鼻科や専門店で聴力検査を何度かしてきた。ドクターは生活に支障はないレベルといい、専門店も難聴ではあるがひどくない、という。当の本人が日常会話や会議に支障が出てきたと言っているにもかかわらず、である。

その理由を考えているうちに少しわかってきた。検査は発信される音に集中して待ち構えている。一方、日常は構えている暇などないし、ゲリラ的に音声は発生される。つまり、聞き耳を立てて予め集中しているか、無防備に漫然としているかの違いがある。出だしのフレーズを聞き逃すと意味は届かないわけで、最初のキーワードを聞き取れているか、これが実は大変大きい。

だいたい、年寄というのはボーっとしている生き物である。そのために、会話の一番最初の音声が聞き取れないでいる、そもそもそんな緊張とは無縁の生活に近くなっているのである。だから検査値と聞こえの実感に差が出るのである…。

原因は一応わかった。が、このままにしていけば間違いなくボケる。認知症予備軍になりかねない。対策はできるだけ補聴器を使用し、しかるべく聞き耳を立てる。つまりぼやっとしていないで緊張せよ、ということである。さてこれも散歩の強制と似て、年寄の衰えていこうとする体の自然に抗え、ということである。自然体をモットーとする人間にとって、これは酷でなかろうか。

■2/16 今日の義理散歩

歩かねば、というプレッシャーが強い。体は歩きたくない、と言っているのがわかる分、ますます甘やかさないで歩け、と内なる声がする。腰が重い、ハリがある、股関節が固まりやすい、どうも座っている時間が長い、それにつれて歩くの億劫になってくる、…。歩かないことは心身の様々な不都合につながっているから、悪循環に陥らないよう、ここはひとつ理性をもって律するしかない。老いは足から、だ。

で、近所を一回りして2.6km、丘の斜面にシカ3頭、蔓がらみの藪にシジュウカラが数羽。気温は0℃あたりだが風があってまだ寒い。こんな変化のないご近所 walking は時々にして、やはり公設の森林公園などにして目先を変え、自分をだましだましコントロールしなければいけない。


■2/15 もうあれから1週間が経った?!

早い!衆院選挙が終わってまだ7日しかたっていないのに…。このわずかな間に選挙の総括を語る多士済々の顔を横目で拝見し言説も拝聴したが、選挙期間の前からSNSで赤裸々に見せてもらった(暴露された)各党各先生のふるまいや考えが、やはり結果にモノをいったという感がある。

高市人気に引き上げられて当選した一部の自民の先生方も、もう反旗を掲げ始めるあたりが面従腹背の、天に唾する、有権者に見透かされていることに気づかないでいるらしいのは、これまでの政治の限界であろうと思われる。

そんな中、注目したのはダボス会議の片山さつき財務大臣の英語による原稿なしの問答。少し意地悪かに見えた海外メディアの質問にも、あれだけタイムリーに即答する人こそ、これからの「働く政治家」のひとりであり、あのコミュニケーションを成立させるためにこそ、英語を学ぶ目的があるのだと思わされた。

あそこであのやり取りがなければ、為替、国債、株価など日本経済に少なからず影響したかしれない。ASEANにしろG7にしろ、国際舞台で国益をかけ丁々発止でやりあえる力こそ、国民が求めているのであり、実は政党を超えている。そこにもしっかりコミットできる自分か、政治家と候補者は自問し自律的に活動してほしいところだ。支持政党など持たない多くの有権者は、結構冷静に是々非々の立場で関心を寄せている。。

■2/14 パソコン&ネット環境、サクサクの快感

新しいデスクトップにデータ移動が終わって一昨日からネット環境はほぼ元に戻った。おかげでこれまでのようなモタモタは完全に解消された。大げさに言えばまさに快哉を叫びたい夢のような気分だ。今回のようなネットの裏方の作業操作は、前回まではなんとか自力でしのいできたが、わたしのような素人には考えただけでもストレスなのである。

それでも、前回の更新のあと、ここ10年を超える環境と器材の垢のようなものがすとんと落ち、再生したような感覚は、最近よく使うようになった言葉、re-birth の如し、だ。パソコンがかくもサクサクと作動する快感というのを久々に味わったのである。手練れの方々から見れば笑われるようなたわいもない話である。パソコンに限らず、そもそもものごとがスムーズに流れるという素晴らしさ、気持ちよさがあるのであり、それをこんな一コマでもしみじみ痛感する。

re-birth のついでにwindows特有の余計なアクセス制限なども外したので、電源を入れて数十秒ですべてスタンバイするというのは、先週とは別の世界にきたような感じである。ただホームページ制作のためのアプリを失ったため、サブのノートパソコンで作業するという面倒ができた。これは想定内でおいおい解決だ。

ちなみに、今回の一連の作業は近所の若い人に初めて依頼した。若い人というのは、東京にいる娘が「お父さんの近くにweb でも評判のいいプロがいるようだよ」と教えてくれ、住所から地図を見るとなんと自宅から200mほどの距離にあり、通りに出ると家から看板も見える距離だった。これは驚きである。遠回りするようなアプローチであったが、これも一つの縁であろうか。初の他人頼みだったが、ネット音痴にとってはこれから顧客として相談もできそうで、いいアドバイザーができた。ひとつの安心、あるいは保険と言えそう。

歳をとれば周りの人たちや外部世界との縁を取り持つツールとして、ネットの世界は欠かせないものになった。だからたとえ多少億劫でも、そして誰かの有償サポートを得てでも、ツールは確保しておきたい。それで解決できるのなら、楽な道を選択するのも、もう許されるだろうと思う。

■2/13 歌に見る庶民の共感 46

全国各地から届く俳句と短歌は地域、年齢を飛び越える共感が楽しい。とりわけ、同世代やさらに高齢の方の投句にジンとくることが多いような気がする。昨年のある忘年会で順番にその年の感想を語る際に、老いることにはいままで想像もつかなかった発見があるんだ、と少し負け惜しみ気味の一言を述べた。若い人たちは何のことかぴんとこなかったはず。今回もその延長感覚で。

ぽんこつを互ひに笑ひ去年今年   川口市・Kさん
…敬老の日か。または日常的にこうやって笑い話をしあう友人知人は、身近にあれまほしこと。みんな来た道、みんな行く道。実風景は寂しいものかもしれないが、俳句や雑談では笑い飛ばしていたいもの。

苦戦して九十五歳日向ぼこ   成田氏・Kさん
…95年、思えば苦戦続き?だった…。きっと「続いた」わけでなく、時々はそうだった、と思う。山あり谷あり、楽あれば苦あり。召される前には「でもいい人生だった、生まれてきてよかった、産んでもらってよかった」と振り返りたいもの。作者も感謝の気持ちとみた。

また年賀状じまいという賀状   小金井市・Kさん
…何枚も毎年続けばうんざり。互いに出し合う仲なら黙って片方がやめれば自然と終わることもある。しまいの賀状は、ただ寂しさがポツンと残る。やめた、といいながら、毎年寒中見舞いのようなハガキをよこす方もいる。やめたものの、やり取りはしたいという本音か。

一人去りひとりとなりし焚火かな   日立市・Kさん
…これは純然たる焚火の話だが、風景が年賀状じまいに少し似ている。大勢でいる間は社交だが、最後に一人残ってからの時間はひとりの詩人か哲学者に変わる。この余韻は焚火ならでは。山小屋で過ごすひとりの薪ストーブ時間は、常時これ。

冬なれど冬至過ぎれば少しだけ希望は恋の気分になって   盛岡市・Nさん
…冬至と聞いただけで、新年、希望、春と明るさなどが浮かび上がるのは確かだ。恋の気分と類似するのかは、忘れた。苦あれば、楽ありというところか。

「大切に読んでください無料です」古本百冊車庫に広げる   横浜市・Yさん
…断捨離と有効利用、もったいなさにちょっと悩むのが庶民だ。売りに出る人もいるけれど、実に面倒だ。さらにオークションにかける人も。個人的には今、いただいた20年以上前の本を読んでいる。内容はまったく古びていない。むしろ普遍的なテーマが見える。

ぽつぽつとできないことの増えてゆく母はしずかに雨を見ている   大阪府・Kさん
…雨を見ながら何を思っているのだろう、と想像させる。加齢によって器用さも筋力も、そして知力もなくなっていく。先日はスノーモービルが倒れそうになって応援をたのみたくなったし、昨日はそのスノモのダイナモを引く力がなくて途方に暮れたばかり。助け、サポート、支援…、突如として現実味を帯びてくる。

■2/12 『ばけばけ』の主題歌は「アメリカーナ」

ナターシャセブンのような、ちょっとブルーグラス系のいい曲だなあ、そしてとても感じのいい歌い手(ハンバートハンバートというらしい)だなあと思って聞いていたら、今注目のアメリカーナという新ジャンルの音楽なのだという。

アメリカーナとは、フォーク、ロック、ブルース、カントリーなどを複合したものらしい。それからあのハモリ方もすごく新鮮でいい。林に向かう朝のラジオで六角精児氏らがなにやら盛り上がって語っていた。

一方であの歌い方が嫌いだという人もいるらしく、どうやら男性ボーカルが美輪明宏の声に似ているからだとか。確かに「よいとまけの歌」なんか、かなりすご味があるし、何かのアニメではおどろおどろしいくらいスピリチャルな音声だった。でも称賛の声も多いようだ。みんなよく注意して聴いてるもんだな~と感心した。

■2/11 コーヒーとシナモンロールのコンビ

自宅から車で2,3分のところにブーランジュ・オゾがあり、月に1度、朝のたまの贅沢にホカッチャをメインにした調理パンなどを楽しんでいる。その際に必ずシナモンロールを買うことにしている。コーヒーとの相性は、やはりシナモンロールに軍配を挙げたい。

国民一人当たりのコーヒー豆消費が世界一というフィンランドだが、彼の国の環境省とヘルシンキ大学、そして民間の財団のようなところにお邪魔した折、いずれでもコーヒーとシナモンロールを出された。食後だったりして手を出さないで終わったが、ホストらは食べていた。この組み合わせは、筋金入りだったのだとこの頃になってよく思いだすのである。

■2/10 明日は紀元節

父親は明治の生まれだった。そのせいか、旗日には庭先への日の丸掲揚を欠かさなかった。また2月11日を紀元節と呼んだ。紀元節は昭和23年、GHQによって廃止されて平日になってしまったが、昭和41年、国民の8割以上の願いがかない、「建国記念日」として復活。わたしが中学生のころだ。しかし、その後、神話や歴史そのものが教育から長く無視されてきたせいか、紀元節の印象は一般に刹那的だ。国を挙げての催しなどほとんど聞かない。メディアもほぼ無視状態のように見受ける。さて今年は、どんな扱われ方をされるようになったか、改めてすこしその辺に注目してみたいと思っている。

■2/09 罰(ばち)が当たった、という総括

昨秋に政権が交代するあたりから特に、色々な運不運を眺めることができた。昨夜の投開票はその総仕上げでひとつの区切りに当たり、近年あまりないような悲喜こもごもを見た。振り返れば、国会や委員会その他での、テレビ受けのパフォーマンスや駆け引き、非難や揚げ足取りのような言動を視聴者たる国民がどう受け止めるか、お気づきなかった方々も実に多かったようで、先生方の人間としての質もよく観察することができた。わたしなどは国益など無視した悪意を感じたものもあった。

あるサイドは大敗を喫したわけだが、しかしピンとくるようなけなげな敗因分析は聞こえてこない。わたし流の、日本の庶民的目線でいえば、一言、「罰(バチ)があたった」という言うべきか。古来、日本人には良心というものがあり、お天道様に顔向けができないようなことはしてはいけないと親にも先生にも世間にも戒められてきたものだ。良心と照らし自らを律するのである。

このたびの一連の政治政局の動きと流れを人としての側面からみれば、良心に照らして是と思えたのか、そこを聞きたくなる言動がいくつか思い出される。庶民には庶民の良心の尺度があり、そこに照らせば「いかがなものか」と眉をひそめるシーンや出来事が、実は大盛だったのである。それらは政策以前の話だ。

■2/08 「日本列島そのものがパワースポット」という意味

「日本列島の底の方にある何物かが、人びとの心に、欧米人にはない何らかの変化をもたらしている」「言ってみれば、日本列島そのものがパワースポット」「日本列島そのものがパワースポットであることに気づけば、摩訶不思議が起きても当然と、素直に受け入れることができる…」。

昨日の朝方、寝たりて目を覚ました際、枕元にあった『古事記は日本を強くする』(中西輝政・高森明勅共著・2012年徳間書店)を開いた。その時に目に入った上記の文言に大きな感銘を受けた。日頃から気になっていたことが急にすらすらとつながったのである。この本はすでに一度興味深く読んでいて、実はこのページにもいくつか傍線が引いてあったのにかかわらず、である。

中西氏の要旨は、世界の陸地の0.25%しかない日本に、世界の火山噴火の20%が集中していて、その原因は地球にある4つのプレートの境界が日本付近でひしめき合っているから、としており、このことが日本誕生の神話とその後の国柄に強く結びついている、と言うのである。大胆な推論で大いに隙ありという世界であるが、論理性というフィルターをちょっと外してみる必要がある。摩訶不思議の中に噴火のほかに地震災害も含めて考えるとわかりやすい。地震は断層によって起きるが、断層ではゼロ磁場が出来ており、この磁場は人の精神を覚醒する力がある、とべつのところで聞いた。

建築家・毛綱 毅曠(もづなきこう)著『ガイア・インターネット』によると、断層の割れ目から発せられる磁場は、かつてのスーパーテクノロジーである陰陽師を産み、彼らはそこに神社を建立したとし、本の中で阪神淡路大震災で倒壊した神社の所在と活断層を重ねて図示して見せた。そして中西氏らのこの本はプレートに起因する、摩訶不思議と日本の神話『古事記』の誕生と必然を、極めてまじめに論述しているのである。

わたしには国際政治を専門とする中西氏の庶民向け論考を読む機会はしばしばあり、論述する歴史の総括や将来予測については世間でも高い評価があるが、氏が、一般にはなかなか結びつけることを憚りそうなテーマに、真正面から挑んでいることに驚いたものだ。が、もう一度読み返してみても説得力がある。むしろ、そうでないと日本の不思議は理解が出来ない。

奇しくも 2026/2/8 の今日、投開票が行われる衆議院選挙の結果ともこれは大いに関連していくことと思う。おそらく、高市首相は単独過半数を獲得し、与党が2/3の議席を獲得した暁には、頃合いをみて靖国神社を参拝するなど、停滞していた歴史認識にも新たな一手を投じるものと思われる。SNSなどによって、これまでの言論界やマスコミ報道とは別に、国民の多くは色々な議論と実態を看破し、お花畑的な言論から次第に距離を置き始めているように見える。

■2/07 雑木林が輝いて見える日



一年で雑木林が最も美しく見えるのはいつか、と問われると結構迷うものだ。言えるのは、その時々に「今」と答えたい気がする。今日は、その「今」だった。胸が膨らむ風景の中をコツコツと歩を進める安らぎは極楽、というのか、ちょっとした絶頂感がある。立春から3日目である。

■2/06 「樽前山麓の森林」 ~苫郷文研 まめほん3~

昭和50年代前半に苫小牧営林署長を務めていた鈴木康之氏による執筆。宇都宮大学の林学科を出られて林野庁に入られた。270年前の樽前山の噴火によって壊滅しただろう植生の上に、樽前山麓の森林は新たに出来上がったから、とても根が浅かったことなど、森林を守る前線に赴任した森林官が赴任4年間に見聞きし考えたことを20項目ほど記述されている。

その純朴な淡々としたタッチに好感を持つとともに、森を扱う方々に共通した静かな観察と客観的な視点などにも共感を持って一気に読み進んだ。いかんせん林野庁のエリートだから、欧州の森林官のように何十年も同じ土地で目配りするわけではないが、もしそうだったらどうだっただろう、などとと想像した。災害ばかりで土地生産性の低いこの地には、ほとほと手を焼いて、経済性を重視する「林業」より「保全を中心にした奥山」として育成することになったのではないか、などと思いつつ読んだ。

■2/05 「2025年は日本の新たな出発の年」

哲学者、森信三氏の表記予言が静かに反芻されている。しかも政治が変わる、国が生まれ変わりそう、そんな予感を感じている国民は少なくないようだ。選挙結果はどうなるだろうか。ながらくなかった国のありようへの期待、師の予言が当たれば令和の「維新」に近い。

■2/04 大島山林の大好きなスポット



沢型地形の合流部分で、沢は右へ下って500m程で遠浅川につながり、10km下流で太平洋に至る。この正面の手入れ風景がわたしは好きだ。この位置にシカの群れが大集会を開いていた(ように見える)跡があった。彼らにも安全な憩いの場でなかったのか。左の沢径と右から登る丘径もトレースした。今日はこのルート始点で、柴犬を連れた女性と出会って歓談。

■2/03 やや憂鬱なパソコン交換

windows10 のサポートが終了した。一方、パソコンの立ち上がりが随分遅くなってイライラさせられるようになった。2014年にW10に乗り換えたときはパソコン本体(デスクトップ)を交換して接続とデータ移動もなんとか自分でやれた。意外と簡単だという感想を持ったが、さすがに今回は面倒な感じがして気が重い。家人もプロに出張してもらったら、などと珍しく優しいことをいう。ある家電量販店で相談したら当方の今のデータ量約400GBであればおおむね4万5千円という価格表を見せてくれたが、いかんせん今はサービスをやめたという。

さてどうしたものか。パソコンを使い始めて30年あまり、同僚のアドバイスも借りてひとりで凌いできたものの、もう楽をして環境を手に入れたい、と思うのであった。が、この価格帯をみて、もったいないとも思う。どうせ暇があるんだからまたひとりでやれ、勝手に老け込むな、と内なる声は囁くのだ。久々のアルバイトだと思ってやるしかないかなあ、と傾き始めた。一旦そうなると頭の体操だとか、ボケ防止だとか、様々なプラス要素も浮かんでくる。

と思案している間に思い出したこと。それはかつてパソコンの不具合に悩んでいたころ、「OSを入れ替えるのに慣れれば何でもない」と知って実行したことである。当時のパソコンはバグも多かったから確かに何度か初期化してOSを入れ直している間に、パソコンというものが自分のものになった気がしたのだった。

その記憶に励まされ、キーボードは先月替えたばかりだしモニターはまだ十分使えるから…などと言い聞かせて心の準備に入った。しかしやっぱりパソコンが苦手な当方にとって、パソコン交換は不安がよぎって憂鬱だ…。

■2/02 庭にシカ

昨日は庭に積もった5cmほどの雪の上に一頭のシカの足跡がしっかり残っていた。公道から5m近く離れた位置にあるイチイの木に向かってきて、戻ったあとがある。しかし、どうしたことか食べた形跡は見られなかった。雪が比較的少ない今年は大丈夫かと油断して無防備にしていたので、早速シカ除けのネットをはった。さらにその周りににテラス用の椅子と蛍光色のスコップを立てかけ、障害物風に仕立てた。

シカはいよいよ餌がない。落ち葉も雪の下に埋もれた。固い木の皮などを食べる前に、まず里に下りて好物のイチイに手を出し始めた訳である。「食べ物がなくなればなんでも食べる」、シカ研究者はそう言っていたが、実は微妙に選り好みが激しい。

小屋の周りなどでシカの切実さを少し身近に感じるようになってみれば、緑のもの、枝先と芽、雪の下の草などなど、何なら食べるか、何から食べるか、についてやや彼らの身になって想像してみる。なんでも食べるとは言えやはり選り好み、優先順位があるのである。実際、庭や緑道に多いツツジやシャクナゲなどは食べていない。もちろん、植苗、遠浅などに多いコブシの稚樹も食べない。コブシは漢方のような独特の匂い(わたしには芳香だが)があるがあれが嫌いなのだろう。ツツジやシャクナゲは種類によっては毒があるようだ。

もろもろ勘案すれば、致命的になるほど雪が多く降らない勇払原野や道東の太平洋岸は、シカのパラダイスなのである。この冬も立春を過ぎれば、南斜面に当たる海岸段丘のあちこちでもう雪が解け始め、ササや草が見え始める。あと1週間の辛抱だ。これだもの、勇払原野のシカは減りようがない。

■2/01 「人生観の変わる国」の反省と覚悟



タイトルの「人生観の変わる国」は、今から30年前にニュージーランドに行った当時、かの国の観光局の日本語パンフの表紙に書かれていたフレーズだった。わたしはガーデンシティで名高いクライストチャーチともうひとつオークランドを単身訪問しただけだが、クライストチャーチの中心部にあるハグレイ公園(写真はそこのボーダー花壇)には目を見張った。カンタベリー平原という樹木のない原野に木を植えてできたと、園内の博物館で沿革を読んで知った。

実に美しいこのマチの繁栄の歴史を書いたその沿革の最後に、「(その結果)カンタベリー平原の元の自然は失った」という意味の文言で閉じていた。繫栄と失ったもの。人間活動の功罪のバランスを、覚悟を込めて表現するこのような「大人っぽさ」にわたしは感動した覚えがある。

1/29 の書き込み「政治の基盤変動 ~このマチにこんなに若者がいた~」をしたためながら、勇払原野で壮大な経済プロジェクトが展開している今、わたしたちにもこれまでは大きな声にならなかった功罪を見据えた覚悟を一種の合意のように、あるいは哲学のようなものに結晶できないものか、と考えたのだった。

■01/31 シカが何でも食べてしまう気持ち、わかる



安平や厚真はたっぷり雪が降って、小屋ちかくも40cmほど積もった。今日の小屋番は林道入口からスノーシューを履き重い雪をラッセルし延々40分歩いて小屋到着。あたり一面雪原に変わり、雪面から出た稚樹や枝枝は軒並みシカに食べられている。

小屋の裏はシカのねぐらになった形跡(手前のでこぼこ)があった。前回の降雪でわたしが片づけた伐倒木の枝にシカが集まっていると書いたが、今日はさらに足跡が増え、その隣のねぐらはシカの晩餐の跡のようにも見えた。もうまともな食べ物がないのである。

トレイルカメラで確認すると、案の定、一昨日の1月29日の夜に、シカの移動が見られた。萌芽更新した新しい枝を必ずのようにシカに食べられてしまい更新がうまくいかないと嘆いている身だが、餌になるものがことごとく雪に埋もれて齧られた枝をを歩きながら見ているうちに、少しだけシカに同情する気持ちが芽生えてきた。「これじゃ、生きるために仕方ない」と。

それにしても不思議だ。彼らは何故、毎年のように小屋のそばで寝るのか。小屋のそばは撃たれないと感じているのか。もしそうだとすれば素晴らしい本能だ。

■01/30 渡辺京二著『私の幕末維新史』

裏表紙にこうある。「幕府は薩長に倒されたのではなく自壊した」「尊王攘夷が盛り上がった理由は日本人の“京都敬い”」「吉田松陰の面白さは馬鹿げていて愚直なところ」「外国人が幕末の人々に感じた頭の良さと狡猾さ」…など。年末に見つけた新刊で、故人が生前に熊本のお寺で講演した録音音声をまとめたもの。わかりやすく、庶民の人情も熟知した筆致で、それでなくても興味が尽きない維新がさらに身近になった。

「はじめに」は池澤夏樹。身分制度の実際、年貢のこと、攘夷、各藩の乱立の様子、天皇と将軍の関係など、故人ならではの描写になんとなく「わかった」気がした。西郷や外人の描き方にも独特の情が通って身近に感じられた。

明治維新は歴史の凝縮のように見えるだけでなく、そこに日本人の考え方のどうしようもない癖、DNAのようなものが匂う。帯の文言にもそれが出ている。渡辺京二歴史学は『黒船前夜』で松浦武四郎とはまったく違ったアイヌ観を書いている。。


■01/29 政治の基盤変動 ~このマチにこんなに若者がいた~

雑木林の一巡りを終えて帰宅すると、高市首相が地元候補の応援に苫小牧に来るというネットニュースを家人がキャッチしたので、夕方5時の到着を目指して駅前近くの会場に出かけてみた。大型娯楽施設やドラッグストア、コンビニの駐車場などに止めた車から続々とアリのように人が集まり、パトカーや交通整理、空にはヘリコプターが2機、いやはや大変な騒ぎ、いや人出だった。

このマチにこんなに若い人がいたのかと思うほどの数だった。演説会に集まったこの若い人というのは、その産業群によって職を得た、働く人たちだろうと思う。午後5時に集まれるということは企業の動員だったのだろうか。それとも交代制の職場の非番の人だったのだろうか。

ところで、近年の若者の政治への関心、そして高市首相への人気は、SNSでみる限り政治というイベントの地盤が大きく変わったことを感じさせる。マイナス4℃、周りは若い人で一杯でその半分は女性のように見えた。この会場の主役である地元候補者は、広島県出身のいわば満を持した落下傘型の30代の若者で、2年近く前に奥さんと移住したという。思えば、明治以降、北海道は全国から有志が集まってできたから、往時の再来かとも思える。北海道はいまだに新天地であり、ひょっとして開拓期と呼んでもいいのではないか。

再び帰宅してから、この日の驚きをしたためながら思い起こした。国策によって勇払原野の地の利を利用して進められてきた工業や流通のインフラは、名実ともに保守与党の極めて大きな票田でもあり、昭和40年代には地元に代議士が二人もいたのである。それが曲折を経て一巡り二巡りしたのが今であろうか。昨今は重厚長大ではないがもろもろの関連産業を巻き込んで基幹産業に成長し、その集積度に呼応してさらに参加企業は増えているらしい。都市計画で用途地域も見直す方向のようだ。

苫小牧の特徴としていえるのは、かつて働き口を求めて道内の各地から本州に渡っただろう世代が、ここ苫小牧と周辺にせき止められる構図である。これはかつて描かれた大規模な産業基地をここに創ろうと企図した、行政や産業界の青写真、理想像に沿ったそのものである。この大きなうねりは、庶民の日々の感情や反対運動では容易に止められない底流れといえる。ドラマのようなその流れが時代の変化として展開し眼前に見えている。

経済か自然かという二者択一を、かつて運動家やメディアは住民に問い迫ったものだが、敢えて言えば「どちらも必要」「どちらの恩恵も被っている」というのが現在の地域合意であり判断であろう。ただ、結果としてもともとの自然の一部は確実に失った。そこに人間生活の性(さが)と原罪のようなものを感じるのである。

■01/28 シカを見つける視力

近年、林の中にいるエゾシカを人より早く確実に見つけることができる。かつていた会社に腕利きのハンターがいて、わたしの運転するランクルでドロノキの造林地を走っているとき、木立の中に素早くエゾシカを見つけて急ストップしたことがあった。ものすごい視力、独特の目のチカラだと感嘆したのである。そんなところを見込まれて、道東でシカ猟のガイドを頼まれて冬の一時期休むことがあった。その彼の100分の一程度のシカを見つける視力がついたように思うのである。シカとの出会いの頻度による勘のようなものか。そういう目で見ると結構木立の中にシカは見つかるものなのである。

聴力は落ちる一方で、最新の補聴器や集音器を使ってもあまり足しにならないが、シカを見つける目ヂカラがついたのは少し励みになる。生きる上でどうってことはまるでない、まるで役にならない能力が、大袈裟にいえば聞き耳頭巾の爪のアカぐらいの類似性はないか。こういう摩訶不思議なチカラというのは元気が出る。

■01/27 いずこにもあるマチの歴史、先人の足跡



懸案だったシリーズものを読み始める。先輩のBさんにいただいた、苫小牧郷土文化研究会の「まめほん」である。いただいたのは第1巻目の「ハスカップ物語」から12巻までと、このほか別装丁の2冊。頂戴してから数年、読むならまとめてと思っている間にただ本棚を飾っていただけだったがようやく一冊ずつ開こうと心づもりができた。画像中央の大判の2冊は、地元苫小牧信用金庫の「とましん郷土文庫」の通巻30号「ハスカップ」と31号「鮭」で、こちらは信金の店頭で無料でもらってすでに読み終えた。「まめほん」が100ページ足らずのボリュームなのに比べ、こちらはカラーの画像入りで取材も広範囲だから資料の価値もある。企業の地域貢献CSRと呼ばれるものか。

いずれも郷土の歴史を活字等で保存しようという篤志家的な動機や意志によるものだ。出生から言えばわたしはよそ者であるけれども住み始めてから半世紀も経つと、文字通り「第2の故郷」となって住む土地の文化、歴史、風土など全般が特別な興味のあるものに変わって来た。ちなみに「まめほん」は当初限定300部の稀覯本なので、読み終えたらわたしが受け取ったように誰かに託したいと思う。余談だが、古本屋では第1巻のハスカップ編が2万円だったと、購入したハスカップ研究者に聞いた。

■01/26 歌に見る庶民の共感 45

札幌方面は大雪でJRも航空便もストップしている一方、苫小牧は毎日晴れて積雪は2,3cm。除雪をしなくてもよいおかげで生まれる時間と体力は有効利用しようと、妙に計算高いことを思いついた。少なくとも除雪という避けられない用務に追われることがない、というのは爽快である。というわけで印象に残った歌の整理。

◎コスモスがいいじゃないかと言うやうに倒れたままで花を咲かせる   仙台市・Mさん
…曲がりまっすぐ、これを人の性格、生き方にも当てはめる。オレも倒れたまま、近頃ずっと寝そべったままだなあ、とか。この歌はそれでもいいんだという肯定感が素晴らしい。

◎手を挙げて横断歩道を渡る吾に見知らぬ男の子そっと添いくるる   調布市・Kさん
…人のため、そして年寄りに優しく労わる。この子は自然と身に着いた所作のよう。きっと、家でおじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられているのだろう。訪日外国人は日本人のこんな風景に感動するという話を聞く。(列に割り込んでくる人々とは真逆)

◎リハビリに励み此処まで恢復する食事・排せつ車の操作   牛久市・Fさん
…そう、ネバーギブアップ。ここまで出来たら当分?!大丈夫。掃除洗濯買い物などは軽くこなせるはず。わが身に当てはめてもう一度読む。これこそ庶民の共感。

◎冬ざれの心に点る灯りあり長調多きモーツァルト弾く   札幌市・Sさん
…モーツァルトのディブロップメントなどは確かに気分が晴れる。晴れた草原を馬車に乗って曲想を得るような、と評論家が言っていた。ベートーベンはウィーンの南のバーデンで第九を書いたというが、曲想はヘレーネ渓谷などの森の中で得たというので、行ってみたことがある。そこは普通の広葉樹林と穏やかな川だった。われら凡人の心眼はどこにあるのか。

◎ふいにきて家中見渡しわが娘「頑張ってるね」と監督顔する   狭山市・Fさん
…わかるわかる、の世界。娘さんも頼もしい。そう思いつつ母は老後について束の間でも安心しているのではないか。小さい時はピーピー泣いていたのに、と。きっと娘さんもしばらく安心、と思って帰った…。

◎貧しさを忘れるように枕辺にたたんだ晴れ着おさな日の除夜   横浜市・Mさん
…貧しかった頃の情景を想起させる作品には特に弱い。大晦日は特別な重みがあった。本当に年が新しくなるという実感があった。飽食、モノ余り、使い捨ての時代に生きつつ、これでいいのかと自問もするが。

◎野うさぎを追いし狐の跡のあり雪の野に生く二つの命   群馬県・Mさん
…勇払原野の雑木林はこの絵が日常だから、北関東の群馬にもそんな自然があるのかと足が止まる。ウサギとキツネとタヌキ、シカ、彼らは数百ヘクタールのまとまった自然があれば悠々生きていくような気がする。そんな機会を得て、環境は野生の命と共有しているという自覚できる教育や体験は、必要だと思う。

◎鍵盤の和音の間隔うまくいく人間関係あらわすかのよう   東京都・Sさん
…たしかに隣り合わせをたたいても、ちっともいい和音に聞こえない。まさに、という歌。さらに音を重ねれば複雑な人間関係のようなシブイ和音も生まれる。ボサノバなどで使うそんなしぶい、大人の音は大好きだが、いかんせん、指使いがひどく難しくなる。きれいな音が完成するまで一苦労、ふた苦労。下手すると死ぬまでには完成しない。

■01/25 サツマイモの味比べ

薪ストーブのオキの中にアルミホイールに包んだサツマイモを放り込んで30分ほどで、実に美味しい焼き芋ができるのは、薪ストーブ愛好家の間では定説である。遠赤外線の効果かどうか詳しくは知らないけれども、100円少々のイモがスイーツに代わるのである。

そこに昨日茨城の山仲間お手製の「紅はるか」の干し芋が届いた。早速、食べ比べということになったが、干した手間の分と品種開発の効果か、干し芋の糖度が優ったように思う。それにフルーツのような口当たりがなんとも言えない。

ちなみに、干し芋の乾燥にあたっては当方の細かい焚き付けが一役買っていると聞く。その、薪ストーブを使う先方の専門は原子力関連だというのがわたしには非常に興味深い。雑木林と原子力が、しばしば正反対のようなイメージで関係を指摘されるからである。少なくとも、雑木林が最も身近でわかりやすい自然エネルギーの一つであることは疑いがない。

■01/24 シカの幸福



昼過ぎ、森林公園を歩く。丘の上の尾根筋は歩きやすい踏み跡の径になっているから、少し風が強いのを我慢すれば、格好のフットパスである。エゾシカも至近距離にいる。ライフルで撃たれることのないこのエリアなら、動物王国だが、いかんせん、餌がない。いざとなれば落ち葉すら食べるらしい。奈良公園のシカと、さてどちらが幸せか、とよく思うのだ。

■01/23 春旅プラン

5月、薪の運搬がすんだら花を植える前の数日、長塚節の記念館(常総市)と白水阿弥陀堂(いわき)に行こうとすこし胸を膨らませていた。が、長塚節の方は記念館が見当たらず「生家」のことだったようで、しかも今は外観を見るだけになったと公式ページにある。→(訂正)精査すると地域交流センターに展示のような施設がありました^_^;

今まで調べなかったのもうかつだったが、『土』を読んだ後、愉しみにしていたことだから、残念至極。一方、阿弥陀堂のほうは、景観工学の樋口先生が、蔵風得水型風景の典型として紹介していた、いわゆる風水的にもいいロケーションということで、これもかなり魅力的だ。どうしようか、skymark の茨城空港を使っての一筆の旅、もう少し練ってみよう。安い航空券取得の期限までに。

■01/22 仕事の流儀

元環境省自然環境局長だった小野寺浩氏が亡くなった。北大の農学部では5,6年先輩にあたる方で、10年以上前に農学部講堂で講演を聞いたことがあるだけで直接の面識はなかった。ただ、知床の国立公園指定、屋久島と奄美諸島の世界遺産などが象徴する、日本の自然全体の見方、考え方に非凡な戦略性と牽引力を果たした方であった。氏の人となりは、梅田先生やその道の専門家に当たる先輩などから、仕事ぶりやエピソードを伺ってきたから、まだまだ色々な仕事を残していただけるものと勝手に理解していた。

特に、生物多様性の戦略化などでは行政側のリーダーシップだけでなく、国民や地域の人々の理解を助長する概念をしっかり提示してこられたと思う。個人的には、氏の『世界遺産 奄美』を読んで、プロジェクトの組み立てと遂行するパワーやバイタリティが伝わって来た。その奄美の自然をこの目で見て感じるべく、家人と5,6日の旅行に行ったのが思い出される。

この本の出版では、「梅田先生に是非書いて残しておくように強く勧められて」という趣旨のフレーズをどこかで聞いたか、読んだかの記憶がある。地元北海道のコモンズに立脚した自然保全の現場においても、色々なヒントやキーワードを氏の業績の中に探せるのではないかと思っている。心より、ご冥福をお祈りしたい。合掌

■01/21 大寒に突入し雑木林に本格的な雪降る



大寒の声に合わせたかのように、今朝は自宅玄関脇の温度計はマイナス11度を指していた。この寒波は天気予報でも予想されていたので、あまり寒かったら山仕事はやめようかと、寝床では少し日和見状態だった。しかし、夜明け前の東の空は今年で一番の、雲のない快晴、拝みたくなる茜色が見えた。これは行かねば…。

ところが現場である苫小牧の東はずれ・静川は積雪が25cmもあって、かつ林道入口は除雪車の排雪で封鎖されていた。それをスコップで排除してひと汗かいてみたものの、先行車がなく、やはり途中でスタックしても大変だ。おもむろにスノーシュウを出して歩くこと30分。ソリにチェンソーなどを積んでの人力牽引だから、50mほど歩いては休んだ。

そして小屋。ふっかふかの雪だった。


■01/20 今日は大寒

今日は24節気の大寒。ゆうべから少しばかり雪が降ったので、朝、なんとサンダルばきで3cmほどの雪を掃いた。正月の数日、穏やかな天候だったから、今年も胆振は穏やかである、と見越している。しかし道内の日本海などはこれから大雪に見舞われるらしいが、それは天災ではない。日本海を渡る風が含む水蒸気は、後志地方の山々から樽前山あたりでほとんど雪を降らして、太平洋側の苫小牧あたりだけは典型的な空っ風になる。その結果、除雪がいらないのは本当にありがたいことだ。そしてなにより、朝、空がすっきり晴れているのはこの地特有の幸運だ。夏の霧は、その逆になるが…。

と、こんな話をしているが次の24節気は2月初めにもう「立春」、そして「雨水」「啓蟄」とつながる。衆院の投票日あたりは春の兆し濃厚ということになる。この季節感覚に身を任せていこう。

■01/19 天覧相撲

大相撲初場所の中日8日目、残り10番というところで天皇皇后両陛下と愛子さまが2階貴賓室に臨席し観戦された。勝負だから誰かが勝てば誰かが負けるけれども、いずれも熱心に拍手を送られる姿が印象的だった。愛子さまが相撲好きというのもうれしい話である。

もっとも感動的だったのはご着席前に場内に軽く会釈された時の歓声の高さであった。NHKが意図的にボリュームを上げたのではないかと疑うほどの大歓声である。日本が万世一系の歴史を持つことを目にする象徴的なシーンであり、日本人のアイデンティティ―を自覚させるせいだろうか、涙腺を刺激する感動ものだった。国技である相撲と皇室はやはり親和性が高い。尊崇や謙譲、祈り、諸々の美徳ともつながっているような気がする。

わたしにとって少しニュアンスが近いと思うのは靖国神社である。北海道にいると、靖国神社に参拝する実感などまるでなかったが、何十年か前初めて九段下の大鳥居をくぐって参拝して以来、上京の機会には早朝にお参りするようになったのだが、驚いたことは、その人の数の多さであった。通学時の子供たちすら、神殿の前を通る際には深々と礼をしていくのであった。日本には戦没者を慰霊する人が、日々これほど多かったのか、という驚きである。

都を離れるに従い、歴史は薄れるような気はしていたが、北辺の北海道には特に伝わってこなかったのではないかと思わせるくらいに、リベラル系な、存在に懐疑的な意見や批判の方が多かったような気がするし、そもそも靖国神社に参拝する、という話は周りから聞こえたことがまるでなかった。

昨日の天覧相撲の歓声はその意味でも日本の国柄というものを彷彿とさせた。東京裁判で唯一日本の無罪を唱えたインドのパール判事の碑や軍事博物館・遊就館に立ち寄って、今年は歴史観、時代感覚を久々にリニューアルする機会を伺おうと思う。

■01/18 山の辺の道と森の辺(ほとり)

昨日の小屋番で、3km近いまほろばコースを歩いた後、手にした本に、景観工学の樋口忠彦氏の講演記録がのっていて、山の辺、水の辺、森の辺が好まれる背景について語っていた。かつて樋口教授の『景観の構造』などで勉強をし景観に対する理解を深めた記憶がある。そのためか、なつかしさと再度新鮮さを感じたばかりでなく、現在の雑木林の修景に役立つことはないかというアンテナが立つような気がした。





いかに心地よい空間を創り出すか?森づくりや公園づくりではそれが究極の目的になる(実は家庭も町内も職場もそうなのだが)と考えて来たが、背後に山を背負う山の辺の空間は、古今東西、その目的に近く特に人気が高いのではないだろうか。2年続けて歩いた奈良の山の辺の道(写真上)は心地よいだけでなく、蝦夷地にはない申し分ない大和気分にも浸れた。古墳や天香久山(あめのかぐやま)など大和三山を眺めながらの山の際を歩く日々は格別だった。

山の辺の快適さはドイツも同じで、計150kmある南ドイツの森林保養地のフットパス歩いてみて、人気が高いのも山の辺であった。背中に森林を背負い、眼前に広々とした牧場が広がる絶好のロケーションにはたいていベンチが置いてあった(写真下)。

コモンズの小屋周辺は優れた公園に不可欠な側面などまるで持ち合わせていないが、有名なアップルトンの理論に照らせば、自分の身を隠したまま相手の姿を見るという動物的ポジショニングを、小屋の窓やベランダが属性として持っていることに気づいた。それが、山の辺ではなく林のど真ん中にある作業小屋の、ちょっと変わった特性だと言えるようだ。

■01/17 林への寛容 ~荒れ放題でもいいじゃないか~

わたししか歩かない、あるいはほとんど誰にも知られていない、コモンズ内で自称する「まほろばコース」を歩いた。積雪は3cmほど。少なくともこの半世紀の間、人の手は入っておらず、明治の開拓後でも人跡稀な場所である。そんな手つかずの林が小さな起伏を伴いながら広がる。

こじれた広葉樹二次林で、枯れ木や倒木の目立つ山である。風倒木はまとまって随所に見られ、ツルにからまれているものも多々。それらを息絶え絶えとか呻吟などと従来は形容したものだが、実はこれが萌芽再生林の自然であることはわかっている。今日はネガティブな表現はしないで淡々と見て歩いた。思い切り気持ちをチェンジした。

朽ちていく木々は生命力を表に出した若木に比べれば醜いという表現はできるが、次の世代につながる新しい芽生え、再生の一歩であることも間違いない。そう観察することにして、大人の見方へ一歩を刻んだ。これまでは無理に手入れが必要だと、つなげていた。しかしどう考えても近々手入れが及ぶ可能性のない林は多くて当たり前なのだ。更新、再生の現実を見据えて、そこに利活用の仕組みが加わると地域の環境は変わるのだが、そのために越えなければならない前裁きは気が遠くなるほど過大だ。だから、一方で朽ちて、一方で萌える、そんな自然状態が続く。

■01/16 ハリギリの焚き付け  ~今年の冬を折り返したか~



苫小牧の自宅で本格的に薪を焚く期間は約5か月。前後の10月と4月は、灯油ストーブで過ごす方が快適で、まじめに焚いたら熱さに耐えられなくなるのである。薪ストーブは、実際、それほど暖房効果がある。その寒い5か月も、そろそろ折り返すころか。道路は一面氷の状態だが、なんとなく寒さのピークは越えた感がある。しかしウォーキングポールを使った散歩でもあまりに危険なため、今日は出てはみたものの不安が募りソロリソロリと早めに戻って来た。むしろ、雑木林の中の方がずっと歩きやすいのである。

散歩から戻って直ぐ、焚き付けのハリギリを補充した。小屋の近くの枯れ木だったこれを、30cm程に玉切りして5つか6つ、庭でこまめに割って冬用にストックしておいたものだ。これまでもハリギリの枯れ木を見つけるとマークしておき、焚き付け用丸太として別枠でストックしておくのである。これで1シーズン分とは頼もしい。ハリギリの枯れ木はマッチでも火がつくスグレモノで、しかもココナツの香りがするのだ。

上の画像で焚き付けの奥にあるのは今晩と明日用の暖房用薪だが、ナラもカラマツもその他の広葉樹も混じりサイズはまちまちで、まるで荒れた雑木林状態だ。さらに2年以上広場で乾燥しているから変色して、高級感などみじんもなくなったが、逆に自分で間伐した自賄い感があふれ、これらを暖房に回した快感というものがついて回る。これは格別である。加えて居間階段で暖房ひとつでシーズンをしのぐのである。他の部屋の隅々は温かいとは言えないが、居間は26℃あたりが老夫婦にとって近年の適温となっている。ハリギリ枯れ木の焚き付けはそこで重要な役割をこなしてきた。

■01/15 歌会始

小屋番に行く道中、ナビのTVにチャンネルを合わせると、突如、あの特殊な歌い方が聞こえだしただならぬことを知った。新春恒例の歌会始だった。途中からだったが愛子様から天皇陛下までの歌をすべて鑑賞できた。

天皇の御製は、元日の宮中祭祀「際旦祭」に望む際に、「国民の平安を祈る元日の祈りの際に空を見上げると明けの明星(金星)が輝いていた」ことを詠んだものだった。次のような、夜明け前の歌である。

「天空にかがやく明星眺めつつ新たなる年の平安祈る」

渡部昇一氏はかつて、「天皇は国民の安寧をひたすら祈ってくれればいい」と語っていたが、まさにその通りのことを365日なさっている。そして天皇が行う儀式はかなりハードなのだと聞く。また、近年は皇族の公務の頻度も目を見張る。さらに皇室の国内、外国に向けた視線は稀有な、かつ、際立って和やかなものが感じられる。歌はそれが凝縮された形で出ている。

話は飛ぶけれども、山の先達・ima さんは短歌とスケッチをよくされ、情感あふれる歌と絵をしばしば拝見した。その弟子にあたる少し若い山仲間・taka 氏も山や自然を歌っている。先日彼のHP「ヒマラヤの山花旅」を当HPにリンクさせてもらうことにした。

■01/14 夜明け前の時間

珍しく長い時間雪が降り、やがてみぞれになって夕方は雨、そしてその翌朝。日が昇る前の静寂は一入(ひとしお)である。遠くにコンビニの灯りが見えるだけで町内にはまだ人の起きている気配がない。はるか南東の空が少しだけ紅色を見せていた。老人は朝に生きる、などと言う。朝は最も集中して仕事に励めるのは事実だ。この時間が、幸せでなくて何であろう。

■01/13 歌に見る庶民の共感 44

短歌を読むのが楽しい。今手元に、一昨年あたりに入手した『歴代天皇の御製集』があって、何代目の天皇かをチェックしながら、またその時代背景を他の資料で確認しながら見ていると、千年以上前の日本の国柄が彷彿としてくる。万葉集のように身分を問わず、かつ今に至るまで時代を問わずということになると、この「歌」を読むという文化がまだしっかりと継続して生きている幸運を寿ぎたいと思う。

◎ばあちゃんは七十年も生きてるの樹のようだねと真顔の幼   京都市・Nさん
…確かに樹木は地球上でもっとも長生きする生き物とされる。学校などで幼子は樹木の寿命を聞いたのだろう。祖母の年に素直に反応している、眼を輝かせるような発見。敬老の風景が見える。

◎「よう生きた」最後の言葉吐くように九十年を五文字で括る   宇部市・Kさん
…もし九十歳まで到達するとこういう感じなのだろうか。長さと中身、自分ならどう評価するだろうか。過ぎ去った人生はもうどうしようもないから、七十代からの充実にどう魂をこめるか、だろう。老いるほどに見える世界、興味尽きず。

◎失せ物出て歌舞伎見て俳句載るいいことばかりで死ぬんじゃないか   宇都宮市・Oさん
…盆と正月、、、気分だ。運も実力のうちとはよく言われる。ピークがあればあとは下るだけ。下り坂が人生だとも。塞翁が馬、楽あれば苦あり、そう唱えてたまの幸運を達観したい。不安はしばし横に置いて。

◎夫が踏み私が踏みて朴落ち葉楽となりたる山の静寂に   尼崎市・I さん
…どこにでもある林の光景にリズムがよみがえる。歩行というのはテンポがあり、夫妻のリズムが混じる。特にホオの落ち葉は音も大袈裟に聞こえたはず。旋律のない音楽は色のない水墨画を連想させた。

◎茶の花が咲いていますの立札に足止め覗き込んだランナー   明石市・O さん
…鳥のように目がいいランナー。きっと日頃から花など一般の風物にアンテナを伸ばしていたのだろうか。このような好奇心は愉しい。大会ではない、散歩のようなジョギングで、それも後ずさりして戻って来たのではないかと想像した。

◎GONEともGO ON ! とも聞く除夜の鐘いろいろあったね蕎麦にしようか   むつ市・O さん
…言葉遊びがお上手で意味がしっかりだ。去った一年、意気込む一年。除夜の鐘は確かに振り返る引き金になるので、部屋にこもって午前零時を過ごすのが常だったが、今年はWEB を操作している間に終わった。それももう一月半ばになる。

◎息止めて息もこぼさず浮寝鳥   宮崎市・Nさん
…俳句の季語は面白く深い。かなり正確な視点で庶民は観察して表現している。水鳥が浮いて寝る、眠る。この選者は、水鳥は片目ずつ開いたままで眠るのだ、と解説。天敵に備え、呼吸にも集中して。

■01/12 変動帯の民の不安と覚悟

「タモリ・山中伸弥のびっくりはてな」で興味深い内容の話が紹介されていた。プレートの境界部分に位置する日本は地震が頻発するが、そのような地域を変動帯と呼び、ここに住む民は、幸せ伝達物質「セロトニン」を受け入れるセプターが不足する遺伝子を持っているというのである。

だから、人類の中ではわれわれは最も不安を感じやすい民族であり、その結果、つながりや協調を求めてコミュニケーションを活発化させてきたという。日本人に「うつ」が多いのもその辺に由来するらしい。

さらに敷衍すれば、千年万年単位で必ず発生する地震津波災害からは逃れようもなく、人は10年単位で変動帯の時間を束の間占める芥子粒のような存在ということになる。そこに、必ずどこかの誰かに悲劇が生じる。これは逃れようがない確率と運不運の問題だ。一瞬、悟ったような気になったが、わが身に置き換えるのは恐怖だ。

■01/11 コモンズの林の非常識

少しまとまった考えを「雑木林だより133」のリードに書いた。
行政の主導する林業とか、世間で人気のある環境教育とか森づくりも、どうもわたしには少し距離を置きたい。どうもしっくりいかない。そこでわたしは責任をもって他人の林を預かり、方法の説明もしながら納得のいく手入れをして来た。そこにはやっぱり世間の見方との間に乖離があるようだ。そこで本音をリードに書いてみた。(雑木林だより NO.133 を一部リライト)

「広葉樹二次林を手入れした林なんて見たことありません。普通、しませんよね」。
これは道の水産林務部に勤務するた方を静川の雑木林のフットパスに案内した時に話された感想の言葉だ。

「いい木を伐って、そのくせ期待していたツル伐り除伐もしないで手入れと称している」、「林をボロボロにしていった」。
こちらのふたつは、近くで業者と契約して実施された作業跡の、森林所有者の受け止めだった。これに対して林業行政に携わった別の方は、それは林業活動として普通の姿だとみていた。見方はさまざまである。

苫東方式あるいは苫東コモンズの保育は、林業の技術は使うが一般に言われる林業ではない、と実は大分前から気づいていた。はっきり言えば造園に近い修景作業なのである。材は結果的に発生するが目的ではない。

だから「枝なんか片づける暇があれば次の現場に移る」とある林業マンは、わたしの仕事を見て少し冷たく言ったものだ。つまり、わたしが主導して行ってきた35年余りの行為は、表題のように「森林の、林業ではない扱い」だったのである。それがこの頃、どうしたらこういう林になるのか、と聞かれる。

なぜ、これを目指したか、それは身近なところで行われる林業や森づくりが、わたしのメガネにあわなかったからである。わたしは、こつこつ、ひっそりと、癒されるイヤシロチを目指したのである。庶民がつい行ってみたくなるような風景を、まず小屋の周りから始めた。


■01/10 93歳のエッセー集

外山滋比古著『知的な老い方』を読んでいる。いわゆる毎日少しずつ読みたい類の貴重な一冊。家人が図書館で借りてきて居間のテーブルに置いてあったものだから、いい加減な選択だが、「はじめに」を読んだだけで引き込まれた。「ころぶな、かぜひくな、義理は欠け」という岸信介氏の老人訓など出てくるのでそういえばこれはかつて見たことがある、などといろいろ思い出した。「ころぶな」の三訓はもっともだがネガティブ過ぎると著者は言う、もっと積極的に老いに立ち向かおうと93歳は叱咤激励するのである。こちらは欲張りだから岸三訓を守りつつ外山氏の積極心をもこれまでどおり尊重していきたい。

■01/09 母の幸せ

実家の母親がなくなる何年か前に帰省した折に、母がニコニコして言うのである。「孫、ひ孫に囲まれ大事にされて母ちゃんは今幸せだ~」。ああ、そうなの、くらいに聞き流していたが、これは大変なことなんだと後になって思った。

実家は複雑な家庭環境だったから、苦労ばかりしてきたはずで幸せとは縁遠い人生だったと思う。それが90歳近くになって、人生を総括して「幸せだった」と言うのである。これは意味が深すぎて読み切れない。昨日の天風師の言葉にも大いにつながることである。しかし当方はそんなことを思いやる思慮のある、優しい息子ではなかった。まさに不肖の息子で、自分勝手で自分のことばかり考えていた。

その前後に、確か森林療法の勉強をしている頃だったと記憶するが「内観法」を少し学んだ。「内観法」はホテル東横インの枕元に置いてあるあの本でも有名になった。このプログラムは、人を思いやることのできる人に近づけるため、あるいは人としての再出発のために、外部との交流を絶ってひたすら母親にしてもらったことを回想に回想を重ね、それに対して自分はなにをお返ししたのかを、徹底的に自分に問うのである。

わたしは内観法の合宿など体験はないが、その主旨を斟酌しながら下座、奉仕、感謝、懺悔という行法をヨガの訓えに従って形だけなぞって、この頃になってやっともうひとつ自己受容というピースをはめ込んだが、その辺に日本らしさや神々の国の本領があるように感じている。利益のある所に移動するとか、攻め込むとか、自分だけ良ければ、とかそういった思想とは違うものが根底にある。正邪分断して攻撃しあう現今の世相とも大分離れている。日本という国、国民はそもそも異質だと思う根っこに繋がっている。その国柄が薄れ始めていないか。

■01/08 「晩年こそ人生のすべて」 中村天風

youtube を見ていたらサイドメニュウに思想家・中村天風師の動画が目に入った。AI の音声で内容はかつて見知ったものに近いが言葉のシャワーが実に心地よい。師の真骨頂がいかんなく発揮されていてしばし聴いていた。すると、サイドメニュウには続々と師のメッセージが出るようになった。日本経営合理化協会などとクレジットが書いてあるものもある。昨日聞いたのは「晩年こそ人生のすべて」。わたしがこの歳にいたって、そうかもしれないなあ、と思い始めたことだった。これからはしばらくこれらシリーズで力のある言葉のシャワーを浴びることができそうだ。

■01/07 一筆を添える愉しみ

年末年始にいただくお葉書に対して、リタイヤ後は寒中見舞いを差し上げることにしたが、ずいぶんと楽になった。枚数減だけでなく、後だしじゃんけんのようで相手への返事もかけるから双方向になる。なにより、ひとりひとりの顏を思い浮かべて一筆添える愉しみは格別だ。池波正太郎氏は元旦の翌日から翌年用の年賀状を書き始めたというが、その思いは少しわかるような気がする。無手勝流だが必死に相手との思い出なども回想しながら書きなぐってくれた、と思える乱文なども良い。そういう葉書きこそ忘れがたく、つづく。プリントを終えたから、明日はその一筆の日となる。一応は対話だから、酒でも飲みながらいきたいところ。

■01/06 ねぎワンタンの新境地



自分のためにも、そしてもてなしの時も割とよく作って評判がいいのがねぎワンタン。昔、講談社だったかの「男の料理」シリーズに掲載されていたもので、何度作ってもはずれがない。豚肉の赤みをたたいて干しエビとショウガ、ニンニク少々をよく練ってワンタンの皮で包んで熱湯でゆでる。千切りのねぎをのせ、コショウと味の素を振った生醤油をかけ、熱したサラダ油で鷹の爪を少し黒くなるまで辛みを付けたものを上から豪快にジャッとかける、というシンプルなもの。

このたび、都内のある中華料理店では、トッピングにネギのほかにかいわれ、千切りショウガ、セロリ、青じそを刻んで入れていたと聞いて、試してみた。なるほど、ねぎワンタンという最初のネーミングで縛られてしまったが、ゆでたワンタン料理と考えればバリエーションは広がる。そしてこちらの方が楽しかった。加えて、80個作ったうちの20個は翌日にしたが、一晩寝かしたものの方がぐんと美味しかった。

■01/05 間違い携帯で旧交長話

携帯電話のボタンを押し違えて間違い電話になることがある。知人からコールの記録があったので気づいて折り返し返信のボタンを押すと、指が滑ったという、この間違い電話だった。間違いであろうがなかろうが、「これは久しぶり」とお互いに近況を語り合う。「去るものは日々に疎し」だが、ひょんなことで話のきっかけがあれば、旧交というのは温まる。

人としてなんらかの関心さえあれば、つながりは短い時間とは言え、戻る。淋しくなる年格好であればこそ、このようなきっかけは大事にしたいものだ。自ら年賀の終わりを宣言する人は多いが、心のどこかには淋しさも宿っていて、きっかけさえあれば火がつくのである。宣言されたのでこちらも出さずにいたら、寒中見舞いのような妙な便りがきたりするのだ。

追記;(二日経って)人や世間から離れていく米国の現象を論じた、ロバート・パットナムの『孤独のボウリング』を思い出した。ボランティアなど社会活動からも離れてひとりでボウリングに興じるというタイトルが、社会関係資本という概念で現代人の志向先を象徴的にとらえた。かつて所属していた財団のソーシャルキャピタル研究会では、並行するようにしてSNSの研究も継続した。社会関係資本の減少をSNSは救えるのか、北海道の地方を念頭に趨勢と可能性を議論したのである。

■01/04 デスクのワックスがけ



正月は毎年、娘から断捨離の指導が入る。今年はわたしの仕事用デスクのワックスがけ。幅65cm、横180cm、厚さ5cmの集成材に蜜蝋のアンティークワックス(チーク色)を1時間あまりかけてこすりつけて伸ばした。35年のデスクワークですり減った集成材は、ハルニレやナラなど各々のパーツ(ピース)に木目の性格をにじませ、そのエージングが興味深い。2026年年頭のリバース。

■01/03 酒を飲む動機 の変遷

大晦日から昨日まで、酒の縛りを少しゆるめて多めだったようなので、今日から心を改めて歳相応の、適度な酒ライフに切り替えたい。γ-GTPもはまずまずなのをいいことに休肝日を設けていないが、太宰治だったか、有名な酒のみの文豪が「お祭り以外は酒など飲むな」という趣旨の訓示を垂れていた。けだし名言というべきか。世のノンベは、この励行できない皮肉を自分の身と照らしあわせてみるのではないだろうか。「よく言うわ」と悪態のようなものを言いつつ、だ。

ストレス解消、リラックス、達成のお祝い、コミュニケーション、社交…。人を酒に向かわせる動機はいろいろだ。リタイヤ後は、このような酒を飲む理由というのがほとんど消えて、敢えて言えば、食事のお供、そして習慣だけとなりつつある。結局惰性のように毎日グラスを傾けるのだが、実はリラックスばかりして快楽に傾斜していないか、現実から逃げていないかなど、酒飲みはちょっとだけ後ろめたいのである。

あと、かなり重要なことがあった。飲む動機には直結しないが、飲酒は健康のリトマス試験紙である。「今晩も飲もう」という気が湧くのは健康な印、健康具合のバロメーターだったのである。誰にも迷惑をかけず愉しく飲む、友人知人がいればさらに愉しくやや大袈裟に飲む。おかしなことに、大手を振って飲める理由を、酒飲みは常に気を配ってキョロキョロ探していやしないか。ただ恐らく、少しずつ適量が先細ってくるのは間違いない。もっとも身近な幸せを求めつつ、である。

そして最近確信しつつあるのは、飲まない方がよく眠れること。少なめの適量に徹して、快眠を得た方が賢そうだ。目標は「賢い酒飲み」ということになる。

■01/02 A I の全盛と限界

この頃、ジャーナリストなどの顏と音声が流れてきて、どうもこれはA I だなとわかるのがグンと増えたようだ。論旨は別にいいのだけれど、どうも本人ではない何者かに講釈を垂れられているようで違和感があり、見るのはやめている。先日は、わたしが書いたあるレポートのPDFファイルが求められたので応じたのだが、使い道を聞くと法人の助成申請をするにあたりA I に読み込ませるのだとのことである。申請のうえでなにか正解を用意するためにいくらかアシストになるという印象だった。

このA I に取って代わられて失業が生れると警戒もされている。しかし、日本も世界もいつも極端だった。今は、ソレーっとA I に向かっているが、EVのように意外と終わりがみえるのは近いのではないか。A I は自分では問いを発することができないことや、A I のプログラミングが基本的に英語の「もし~だったら~になる」という構造になっていて文章は自ずと決まってしまうのだという。日本語のアプローチとは大分違う。

詳しいことはわからないが、人工知能の結末と聞けば、手塚治虫のある漫画を思い出さざるを得ない。人間の労働を肩代わりするサイボーグのような高度なロボットが、自ら考えるようになり、「こんな人生はつまらない」とはかなんで、列をなして溶鉱炉に飛び込んで自殺するという未来予測のような作品だった。ここで覚醒すべきは、実は人工知能ではなく人間側であったということになる。

手作業の側面や花鳥風月と情緒の世界を捨ててしまう今の流れでよいのか。これから本格的本質的な議論と選択がありそうだが、結末をA I に聞いてみたい気がする。

■01/01 謹賀新年

穏やかな元旦を迎えました。年の瀬から一年を振り返っていましたが、今朝になってみると2025年という365日がパッケージとなってまとまって眺められるようになったのが、いささかすこしおかしく感じる。何に時間を割いたかでいえば、圧倒的に多いのは当然ながら勇払原野にある雑木林の小屋番である。小屋の雑記帳によれば昨年は92日になる。一昨年は80日あまりだった。車で30分の裏山における、ウラヤマニストのシニアワークはなにかにと手間が必要でまさに、その時間というものは風土に浸る思いで過ごす。意外に興味深く、過ごす日数が増えるのに応じて林の風景もますます里山風になった。そのせいか、予想に反して積雪期から来訪者があったのはうれしい反応。。

読書による歴史探訪、そして旅としての古刹名刹巡りも満足のいく体験になった。今日から2,3日、今年の訪問予定を立てておくのが愉しみだ。ただ着々と齢が積み重なり、身体にどんな不具合が起きてもおかしくない状態だから、少しだけ足腰と筋力を鍛えて、最低限の備えをしていこうと思う。新年が明けると、日々は単に前の日とつながっているにも関わらず、こうしていつもより真剣に誓いを立てられるから素晴らしい。だいたい、年頭の方向付けのとおり予定が進むのだ。だから、実にやりがいのある重要な年はじめである。


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